「ねえ……今日、うち来ない？」

言葉の温度はやけに軽く、けれど耳に届いた瞬間、心の奥が熱を帯びた。
夏の午後、蝉の鳴き声が遠く響くカフェの中。冷たいグラスの水滴を指でなぞりながら、彼女はふと目をそらしていた。

彼女のそんな仕草が、最近やけに気になる。
それは恋なのだと、とうに気づいていた。ただ、どう接していいかわからないだけだった。

「……本当に、いいの？」

聞き返す声は乾いていた。
彼女は、少しだけ笑った。照れを隠すように、うなずいた。

彼女の部屋は、思ったよりも静かで、日差しがやわらかだった。
洗濯物の香り、窓から流れる風、彼女の生活がそこに確かに息づいていた。

ソファに並んで腰を下ろす。距離は近いけれど、まだ指一本ぶんの隙間がある。
彼はその隙間を、どう埋めていいのかわからず、水のグラスを手の中で転がしていた。

「なんか…不思議な感じ」
「うん……変な緊張してる」

笑い合うけれど、そのあと訪れた沈黙がやけに重たく感じた。
耳が、自分の心臓の音を拾ってしまいそうで落ち着かない。
彼女の横顔。ゆるくまとめた髪が、さらりと肩に落ちる。そこに触れたいと、思ってしまった。

「ねえ……キス、したことある？」

その言葉は、彼の胸を鋭く撃ち抜いた。

「ないよ……たぶん、今がいちばん近い」

答えるのがやっとだった。
それでも、彼女は逃げなかった。視線を逸らさず、そっと目を閉じる。
小さな吐息が、ほんのわずかに震えていた。

触れた唇は、やわらかく、あたたかかった。
一瞬のようで、永遠にも思えた。

触れ合う手。自然に絡まる指。
心の壁が、ひとつずつほどけていくのがわかった。
肩が重なり、胸の鼓動が重なっていく。

「……このまま、少しだけ……そばにいてもいい？」

かすかに聞こえた声は、震えていたけれど、確かだった。
彼は答えを言葉にせず、ただ彼女の手を強く握った。

それは、たったひとつのキスだった。
けれどふたりの世界は、確かに変わり始めていた。

FANZA